速報2024年4月11日、曙太郎さんが4月に心不全で亡くなっていたことが分かりました。
大相撲第64代横綱として活躍した曙太郎さん。
曙太郎さんには、結婚した嫁(妻)と3人の子供がいます。
お嫁さん(妻)はクォーターでとても美人(下の方に画像あり)です。
今回は、嫁(妻)と3人のお子さんについてまとめました。
もくじ
曙太郎の嫁(妻)はクォーターで超美人!出会いや馴れ初めは?
出典元:https://www.pinterest.jp/pin/440015826075457569/
曙太郎さんが結婚した嫁(妻)はクリスティーン麗子カリーナさんです。
綺麗な方ですよね。
嫁(妻)の年齢は?
1973年生まれなので、2024年4月現在は51~52歳です。
ここもCheck!クリスティーン麗子カリーナさんの父親はアメリカ人、母親が日本人ハーフの母をもつクォーターです。
いつ結婚した?授かり婚だった?
2人はいつ婚約したの?
1998年2月10日、曙太郎さんはクリスティーン・麗子・カリーナさんと婚約し、記者会見を開きました。
結婚当時、曙太郎さんは28歳。
嫁(妻)のクリスティーン麗子カリーナさんは25歳でした。
結婚はいつ?
1998年4月27日にクリスティーン麗子カリーナさんと結婚。
結婚式が行われた日には、曙太郎さんとクリスティーン麗子カリーナさんのお子さんはすでに生まれていました。
出典元:https://www.pinterest.jp/pin/440015826075457569/
そのため、結婚式には5ヶ月の娘のレイナちゃんが一緒に出席しました。
抱っこしているのが娘のレイナちゃんです。
結婚式にはすでに5カ月のレイナちゃん。
ん?どういうこと?
曙太郎さんとクリスティーン麗子カリーナさんは授かり婚でした。
2人の出会いや馴れ初めは?
2人が出会ったのは結婚する10年前の1988年後頃だったそうです。
当時、クリスティーン麗子カリーナさんは、米軍横田基地内のアメリカンスクールで働いていました。
出会いのきっかけは、当時英語しか話せなかった曙太郎さんの話し相手として、クリスティーン麗子カリーナさんが呼ばれたそうです。
その時は交際に発展しなかったそうですが、何年かたってから偶然再開したといいます。
運命の再会だね✨
それから話をするようになり交際に至ったそうです。
曙太郎の子供は3人!
こちらが曙太郎さんのお子さん3人です
急性心不全で入院している曙太郎 記憶障害も横綱時代は忘れず - livedoor https://t.co/QIhPlijNze 史上初の外国出身横綱として、大相撲の歴史を変えた第64代横綱・曙太郎。2017年4月に急性心不全を患い、現在、入院生活を余儀なくされている。記憶障害という後遺症に悩みながらも、横綱時代は忘れて… pic.twitter.com/bMCduOLBzy
— Gnews (@Gnews__) January 2, 2019
- 長女:ケートリン麗奈(れいな)1998年生まれ・26歳
- 長男:コーディー洋一(ひろし)2000年生まれ・24歳
- 次男:カーナー大二(だいじ)2002年生まれ・22歳
※年齢はいずれも2024年4月時点
3人ともとても可愛いですよね。
娘さんはお母さんにそっくりです。
息子さんたちはそれぞれ相撲の道には進みませんでした。
長男のひろしさんは、現在海外を拠点に仕事されているそうです。
次男の大二はバスケ選手
次男の大二さんは、現在バスケットボール選手として活動されています。
「カーナー・ロワン」という名前で横須賀『Houdini’s Problems Basketball』に所属していました。
曙太郎の闘病生活を支えた家族
曙太郎さんは、2017年4月、心不全で意識不明となり、緊急搬送されました。
その際に37分間も心停止となり生死をさまよっていたそうです。
この心停止の影響で記憶障害となりました。
クリスティーンさんやお子さんのことも、あまり認識できなくなっていたようです。
お子さんにとっても、妻のクリスティーンさんにとっても辛かったことでしょう。
さらに、補助や車いすでの生活となったといいます。
そして、闘病生活の中で、体重が210kgから1時は130kgまで減少したそうです。
長い間闘病生活を送っていたそうですが4月に入って病状が悪化し、心不全でお亡くなりになりました。
亡くなる直前に妻に「アイ・ラブ・ユー」と言葉を伝えたそうです。
告別式は家族のみの密葬で行われるそうです。
ご冥福をお祈りいたします。
曙太郎のプロフィール
- 出生名:チャド・ローウェン
- 生年月日:1969年5月8日
- 出身地:ハワイ州オアフ島
- 身長:203㎝
- 現役時代の所属部屋:東関部屋
- 学歴:ハワイパシフィック大学中退
曙太郎さんは、元高見山親方に見込まれ相撲界入りしました。
ここもCheck!初土俵は、1988年3月場所、1990年9月場所で新入幕。
1992年5月場所の千秋楽では幕内初優勝を果たし横綱に昇進されました。
1993年から2003年まで活躍していた曙太郎さんは、2003年に大相撲協会を退職します。
その後、K1に出場を表明し、総合格闘技やプロレスなど格闘家として活動していました。
曙さんとはハッスルで何度も闘わせていただきました。張り手で吹っ飛ばされたり場外にぶん投げられたりエルボーであばらが折れたこともありましたが「曙さんは僕を信頼して思いっきりエルボーを落としてくれたんだ!」と逆に嬉しかったです。曙さんとの試合は僕の宝物です。安らかに。 pic.twitter.com/lQYJ2AHRrd
— レイザーラモンRG (@rgizubuchi) April 11, 2024
2017年4月、急性心不全で倒れてからは闘病生活を送りました。
そして、2024年4月心不全のため54歳の若さで生涯を終えました。
まとめ
史上初の外国出身横綱となり、格闘家としても活動された曙太郎さん。
ご家族は7年間曙太郎さんの闘病生活を支えてこられましたが、2024年4月、54歳という若さでこの世を去ってしまいました。
曙太郎さんのご冥福をお祈り申し上げます。
最後までお読みいただきありがとうございました。